自己否定が止まらない人へ/一人反省会(ぐるぐる思考)の意味
「自分なんか」「自分は何をやってもだめだ」「自分には何も無い」「自分は生きていく価値のない人間だ」
「自分が全部悪いんだ」「生きていたって何も良いことなんか起きない」
こんなふうに繰り返し自分を否定し、未来に絶望していませんか。
苦しいのに、やめられない。
これをすることで良いことが何もないとわかっていながらも自己否定してしまう。
そんなあなたにはっきりとお伝えしたいことがあります。
それは、生まれつきの性格ではなくて、
あなたの「反応(防衛)」だということです。
自己否定は「性格」ではなく、身につけた反応
自己否定は出来事に対してのあなた特有の「反応」です。
反応というのは、経験を通して少しずつ固定されていきます。
自己否定というのは自分を攻撃する行為なので
「精神の自傷行為」に近いものです。
リストカットやOD(オーバードーズ)などの自傷行為も
抜毛症や指の皮むきのような自傷行為も、自己否定も構造は似ています。
刺激→キャパが狭いために負荷がかかりすぎる→爆発した怒りや不満、ふがいなさ、無力感などを上げたり下げたりするため「感情調整」の機能を果たすことがあります。
また、感情調整だけではなく、「時間の構造化」が出来てしまうので
実際に行動を起こしたり努力をしていなくても「何かを私はしている」という気になったりもします。
さらに、相手からの注目を集めることで自分は関心を持たれている、という「心の栄養」にもなります。
たとえ栄養素の質が悪くても、何ももらえないよりは「マシ」だからです。
人は社会的な生き物なので、他人の存在なしに自分の価値を感じることは出来ません。
しかし、価値のあるなしの基準が他人に委ねられすぎていると、他者の反応で一喜一憂することになります。
他者は「他者」なので、心の中も本当のところは誰にもわからないし、何を手掛かりに「捉え方」「感じ方」を決めたらよいのかというと
他者との交流のパターンから「予測」をするしかありません。
自分→他者
他者→自分
このように、互いの【やりとり】から、自分の考えや感じ方は正しいのか、間違っているのか、多数派なのか少数派なのか?
それは生きていくのに適しているのか適していないのかを計り、学習していきます。
すると、生き残りをかけた究極の選択をする人もいれば、もう一段上の満足を得るために役に立つ反応を身につけていきます。
共通している点は「生き残るため」であることです。
攻撃という防衛をする人も
自分の意見を押し込めて相手に服従するという手段を取った人も
目的は同じです。
「自分を守るため」あるいは「他人を守るため」かもしれません。
何かから、大切なものを守るために始めた行動の一つが「自己否定」ということになります。
でも、不思議だと思いませんか?
本来は自分を守るためだったはずなのに、その自分を攻撃するなんて、本末転倒ですよね。
しかし、そのスタイルを学習したころのあなたにとっては「それが最善の防衛」だっただけなんです。
身を守る術がそれしかなかった。知らなかっただけなのです。
大人になった今、子供の頃に身につけた(青年期に学習して身につけることも当然あります)防衛の古いパターンを
アップデートせずにずっと使い続けているだけなのです。
大人になった今、同じ防衛を“アップデート”できる
スマホやパソコンもアップデートしなければ、情報を処理することが出来ずにフリーズしたり
古い機能しか使えないのと一緒です。
人も、処理しきれない刺激にさらされた時はフリーズしたり
必死にまた動かそうとするはずです。
もしくは、動かすと壊れることを分かっていれば、「何もしない」という方法を取ることだってあるでしょう。
人との距離の取り方、関係性の築き方も「機能」として考えてみてください。
生まれつき破綻しているわけではなく、学習の過程で生きづらい捉え方、処理の仕方を身につけたのであれば
全く新しいパターンを学習することだって可能です。
脳には可塑性があります。
※脳可塑性とは経験、学習、または脳の損傷に応じて、脳が神経ネットワークを再構築し、その構造や機能を変化させる柔軟な能力のことです。
私は脳科学に詳しいわけではありませんが、たくさんのクライエントから
「新しいルート(神経)」を作ることは可能だと学びました。
古いルート(昔の考え方)が完全に消えることはありませんが、
「昔の感覚を思い出せない」「昔、なぜあんな捉え方をしていたのか不思議」と語る方が多くいました。
2026年03月04日 12:00
