杜の都カウンセリング&セラピィ 紅葉(もみじ)|仙台の心理カウンセリング|アダルトチルドレン、不安障害、強迫性障害、夫婦修復など

仙台の心理カウンセリング【紅葉】は、根本的な性格修正・認知修正を重視し、アダルトチルドレンのカウンセリングに特化しています。

ASD(自閉スペクトラム症)の特徴/認知的こだわりについて

「自分はADHDかもしれません」
「自分はHSPです」
と訴える方はおりますが、
「自分はASDなのではないか」
という主訴で相談に来る方はほとんどいません。

理由のひとつに「ASDについての正しい知識」が無いことが挙げられます。

ASD、自閉スペクトラム、と聞いた時に
「共感性がない」という特性を思い浮かべる方が多いと思います。

しかし、ASDのもっとも代表的な特性は「こだわり」があることです。

道順や作業などのルーティンを頑なに守ることや、
「服はこのメーカーのものしか着られない」などの
他者からも観測できるこだわりは「こだわり」として認識されやすいのですが
「認知的なこだわり」は自他共に認識することが難しく
認知的こだわりを強く持っていることが生きづらさに繋がっていると気付けないのです。

では、認知的なこだわりとはなんなのか、考えていきましょう。

一番わかりやすいのは「〇〇は▲▲であるべきだ」という信念です。
正義感やものごとを計る心のものさしは、主にこの信念に基づきます。

ASDではない方も信念やこだわりは皆もっているのですが
ASDのこだわりはより固く、視野が狭いことが特徴的です。

固く、狭い、というのは、柔軟性がなく、【余白/遊び】がないということ。

そのため、想定外のことが起きるとすぐにキャパオーバーになります。

例えば、「自分は周りの人より優れているのだ」という信念が強すぎる場合、
自分より評価される人が現れたり、
明らかに自分よりも劣っているはずの人が幸せそうにしている事態に直面した時に
心の中に強い葛藤が生まれます。
柔軟性があれば、「ショックだけど、自分が見ていた世界と現実にはズレがあるようだ」と学び
「大学時代では自分は優秀な方だと思っていたが、社会に出た今は自分よりも優れている人がたくさんいるんだな」
というように信念を修正していきます。

しかしASDの場合は「自分より優れている人間がいるはずがない」という信念に執着します。
その葛藤状態が解消出来ないまま、現実生活は何も変わらないと次第に
「自分はクズなんだ、生きている価値なんてないんだ」などと、極端な考えに走ったりします。

そして、今度は「自分はクズだ」という信念に固執しながら生きるため、
認めてくれる人や好意を寄せてくれる人に出会ったとしても
「自分はクズなんだから何か裏があるに違いない」と、自身の信念が正当化されるような捉え方をします。

人はそれぞれに、自分の見たいように世界を認識します。

ASD特性という固定された枠組みから世界を見ていることにすら気づけないわけですから
他人と自分の見ている世界に違いがあることを理解することが出来ません。

もし、他人が自分と違うのだと気づいたとしても
「自分が見ている世界が正常で、相手が見ている世界が歪んでいるんだ」といった捉え方をしがちです。

その認知的な「ズレ」を埋めようと、私達は色々な試みをしますが
【合理化】という方法があります。

「私はHSPで繊細で、あの人はがさつだから私の繊細さを感知できないんだ。」
「私は共感性があるから〇〇という主張をしたのに、あの人は私が共感性がないという。あの人こそASDに違いない」
などというように。

他責に向かう人
自責に向かう人
両方を交互に繰り返す人
人によって方向は分かれますが
目的が「違和感/葛藤状態」を解消すること、という点では同じです。

ここで、このブログの冒頭にある
「自分はASDかもしれない」と訴える方が何故少ないのか、
という点について再考してみます。

「自分は共感性が高く、人の顔色を伺いすぎて疲れる」
と訴える方がいるとします。

ここに、「自分は他人の気持ちを正しく認識できすぎてしまう」というこだわりがあります。

しかし、他人というのは色々なタイプの方がいますし
心の中も様々です。相談者に期待する人もいれば、期待などしていない人もいます。

その現実を歪めて、他人の心の中を「理解したような」気持ちになっているだけであって
実は真に他人を理解などしていない、ということに気付けていないことが問題なのです。

つまり、ASD当事者がこだわりによって勝手に作り出した現実が
実は幻であるかもしれないのに、それを周囲から指摘されても「そんなはずはない」と
曲げることが出来ない。
これこそがASDのこだわりの一つなのです。

人との関係性というのは、相手を知り、自分を知ってもらうことの繰り返しです。
信念も大切ですが、相手を知る過程では邪魔になることもあります。

心のキャッチボールが出来ないからです。
キャッチボールが出来ないということは、「同じボール(感情や感覚)に触れる」という経験が少なくなるので
人の気持ちを理解する機会を失います。
そしてまた、「相手はおかしい」「自分を理解してくれる人など誰もいない」
などというこだわりが強化され、また機会を失っていくのです。

共感性が低い=いつも無感情で何を聞いても何も感じない
このようなイメージを持っている方が多いので
「他人の顔色を伺って思い悩む自分は共感性があるからこそだ」という解釈をしてしまい
自分への理解が深まることも、他人への理解が深まることもありません。

真に共感性が高い人、というのは
まず自分自身の感情を認識していて
自分が他人に何を期待しているのか、を知っている人です。
自分自身についてよく知っている。自分を理解している。
それを他人に投影したり、比較したりして
他人についての理解を深めていくのです。

最後に…
ASD=悪いもの
という認識を持ってほしくてこのブログを書いたわけではありません。
正しく認識している方がとても少ないこと、
それゆえにトラブルがいつまでも解決しない方があまりにも多いことについて
何かのヒントになればという想いで書きました。
ASDの視野の狭さ、頑固さゆえに、物事への集中力がすさまじく
職人として何かを生み出す力に長けている人も
かなりの数で存在します。
私自身もADHDとASDの特性もありますし
私が大好きな人たちも皆なにかしら特性を持っている方がほとんどです。

ASDや発達障害=悪、という見方ではなく
「違い」について正しく理解していくことが
「調和」するために必要なことなのではないでしょうか。
2025年11月29日 14:30