メカトカゲの物語/長男の心の発達の過程

私個人の備忘録でもあるので、語り口調は敬語無しで書いていきます。
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長男(9)と次男(6)が、ダイソーで売っている「プチブロック」という小さいレゴのようなブロック遊びにハマっていた時期があった。
長男は手先が器用で、色々な色・形のブロックを組み合わせてオリジナルの作品を生み出していた。
その中で特に長男お気に入りの作品が”メカトカゲ”だ。
メカトカゲが誕生したのは今から半年くらい前だろうか。
誕生してからというもの、長男はメカトカゲを私の体にいつもくっつけて遊んだ。
「ママ〜、僕、メカトカゲだよ!」
「ママ〜、頭撫でて!」
「ママ〜、僕、可愛いでしょ」
「ママ〜、僕の目、素敵でしょ」
「ママ!見て見て!僕の牙!すごく長いんだよ〜!」
「ママの匂い、いい匂い〜」
「ママを独り占めだ!」
「ママ〜大好きだよ!僕のことも好き?」
「ママ!!もっと構ってよ!!いつも〇〇(弟)ばかりママを独り占めしてずるいよ~!」
毎日毎日、私が家にいる間はこれが続いた。
私も最初は丁寧に
「わぁ〜メカトカゲちゃん!つぶらな 瞳が可愛いね!」
「メカトカゲちゃん、ママも大好きだよ、ありがとう!」
「メカトカゲちゃんの牙って長くて立派なんだねぇ〜」
「メカトカゲちゃん、一緒に台所に行こう〜」などと反応していたのだが、私にも限界がある。
毎時間つきっきりで遊び相手になれるわけではない。
朝の忙しい時間帯、料理をしている時、仕事に行く支度をしている時、トイレ、お風呂、寝る準備をしている時、
車で運転している時、場所も時間も問わずメカトカゲの「見て見て!」が続くので、
「わかったよ、メカトカゲちゃん。何度も牙見せてもらって素敵なの知ってるよ!」
「メカトカゲちゃん、ちょっと待っててね今料理してるからヨシヨシ出来ないよ」
「メカトカゲちゃん、ちょっとだけ静かにして待ってて!」
などと適当な反応をしてしまうことも増えていった。
(一貫性を持たせないことは支援においてタブーなのだが、子育てしながら自分の子供への関わり…となると限界がある。)
ある日、メカトカゲがこんなことを言ってきた。
「ママ〜、僕は全部覚えてるよ。ママに初めて会った日のこと。
ママに初めて、つぶらな瞳を褒められた時のこと。
ママに抱っこされていい匂いだな〜って思った時のこと。」
その日の夜だったと思う。
いつも通り2人を寝かしつけていた。
次男は究極の甘えん坊で、寝かしつける際に2人に片腕ずつ預け腕枕をしようとすると
「両手じゃないとダメ!僕寝るまで両手で抱っこして!!」とせがむ。
「じゃあ、ママの足は両脚貸すよ!長男もママの腕枕がないと眠れないんだよ~」などと言っても、
「ママの手も足も両方ないとダメ!!〇〇(長男)には渡さない!」と言って、
しまいには長男に蹴りを喰らわしたりたり攻撃し出す。
すると長男は「いいよ、ママ。次男はしょうがないなぁ。次男が寝るまでママの両腕貸してあげるよ。僕は待ってるね」と言う。
「ごめんね、ありがとう。次男すぐ寝ると思うから、待っててね。そしたら長男も両手で抱っこするね!」と謝って、
次男を寝かしつけることに全集中する、というのが毎度お馴染みのパターンだ。
しかしこの日は少し違った。
両手で次男を寝かしつけるところまでは一緒だった。
しかし次男はなかなか寝ず
「ママ〜大好き大好き!」
「ママ〜、僕大きくなったらママと結婚する!!」と愛の言葉を沢山与えてくれた。
私は「ママと結婚してくれるの?ありがとう〜、ママも〇〇(次男)大好き!」と反応した。
その直後、背中側に居た長男が私の背中に顔をうずめ、拳で軽くドンドンと背中を叩いた。
長男が泣いている、とすぐ気付いた。
長男を傷つけてしまったと気付いた。
すぐに振り返り両手で抱きしめて
「◯◯、ごめんね。両手を弟に貸してあげるだけでも悲しいのに、ママと次男がラブラブしていたから辛かったよね。」 と伝えたら、
長男は涙を流しながらウンウンと頷いた。
続けて 「◯◯(長男)は昔からあまりヤキモチをやかなかったし、ママはそれに甘えてた。ごめんね。
本当は◯◯(長男)だってママを独り占めしたかったんだね。我慢してたんだね。」 と伝えた。
実際、長男は赤ちゃん〜幼稚園時代は私をほとんど必要とせず、目もあまり合わなかった。
すぐに1人遊びを始めるし、どこかに一緒に出掛けても「ママ、ばいばーい」という感じで離れてしまったりしていた。
手を繋いでも、振りほどいて「心ここにあらず」という様子で離れていこうとする。
仕事から帰宅して「ただいま〜」と声をかけても無反応。
何度か声をかけると、テレビなどその時集中しているものに視線を向けながら「おかえり」とたまに返す程度であった。
次男が私を独占していても何も言わないし、見てもいない。
長男には早い段階でASDを疑っており、6歳の時にASDとADHDの診断がついた。 その後、LDも診断された。
ASD特性ゆえに他者とのアタッチメント(愛着)を築くことが難しく、愛着障害になる人は沢山いる。
長男もそうなる可能性を持っていたため、私の師(米澤好史先生)が開発した愛着支援を長男と次男に数年間行ってきた。
結果、実を結び長男は昔のことが嘘のように情緒豊かになっていた。
その変化の一片として、「僕だってママを独占したい」という気持ちが芽生えていたのだと、この時明確に気付いた。
そして、長男自身もその気持ちをうまく表現することが出来ず、メカトカゲに自分の気持ちを投影していたのだと気付いた。
「メカトカゲちゃんは、◯◯(長男)の心そのものだったんだね。気付くのが遅くなってごめんね。
ママは今、ちゃんと気付いたからね。◯◯(長男)も、ママを独り占めしたいって思ってくれてたんだね。
代わりに、メカトカゲちゃんに〇〇(長男)の気持ちをお話させてくれてたんだよね。ありがとう。ごめんね。」
と話すと長男は頷きながら号泣し、安心したのか次第に落ち着き眠りについた。
その日以降、メカトカゲが登場する場面は減っていった。
長男が言葉で言えるようになったからだろう。
「ママ〜、弟だけじゃなくて僕にも独り占めさせてよ」
「ママ、僕は宇宙でママ以上好きな人はいないよ」
「ママ~、〇〇(次男)ばっかりに構ってずるいよ!僕だって構ってほしいよ!!」
「ママ、いつも弟が怒るから我慢しているけど、弟が寝ている時とかは僕に独り占めさせてね」 と。
長男の成長を見て、魔女の宅急便を思い出した。
主人公のキキと黒猫のジジについて、宮崎駿は次のように語っている。
「あれはただのペットじゃなくて、もうひとりの自分なんですね。
だからジジとの会話っていうのは、自分との対話なんです。
ラストでジジとしゃべれなくなるというのは、分身がもういらなくなった、
コリコの町でちゃんとやっていけるようになりました、という意味を持っているわけです」
「ああいうときって喋れなくなるんですよ。
(魔法が弱くなったのでは、という聞き手の発言を受けて)魔法がさらに深くなったんですよ。
(中略)何か得るものがあったら、なくすものもあるんだよ」
ジジやメカトカゲのような存在を
心理学では【表象(ひょうしょう)】や【外在化】と呼んだりする。
人は、自分の欲求に気付けそうで実はそう簡単には気付けない。
大人になると尚更だ。
子供はわがままなのが基本なので自覚してわがままを言っていそうだが、そうでもない。
自分が今どんな欲求を抱いていて、
誰にどのような反応を期待しているのか、自分でもよくわかっていない。
そのため、抱えきれないほどの苦痛や抑圧された願望などを
自分とは切り離して、ジジやメカトカゲに投影して「代わりに」しゃべってもらったりする。
外在化(がいざいか)というのは防衛機制の一種で、心のバランスを取ろうとする機能である。
「強くなりたい」という欲求が溢れた時には
「〇〇レンジャーごっこ」をして強くなった気になったりするのも防衛機制のひとつだ。
親から「親に逆らうなんて許さない」と言われ、怒りを表すことを禁じられ続けた人が
親に怒りを感じそうになると罪悪感を感じ「親に逆らってはいけないんだから」と頭の中で繰り返す場合は
怒りを【抑圧】という防衛機制で押し込み、矛盾した心のバランスを保とうと自分に言い聞かせ、正当化することを【合理化】という。
更に、親から強制されたルールや信念などを自分の価値観として取り込むことを【内在化】と呼ぶ。
情緒的に未熟な子どもたちは、親ないし「鏡となる人物」が、
心の中を映し出し、言葉に乗せて共有し、一緒に【世界】を形作っていく。
その【世界】が歪んだものであれば、歪んだ世界観で生きていくことになる確率が上がるし、
温かい世界であれば、温かさを支えとして生きていけるかもしれない。
【たった一人の特別な人が自分を理解してくれようとしてくれた。】
【たった一人の特別な人は自分をいつも信じてくれた。】
その経験なしに「独自の世界」が健全に創造されることはない、といっても過言ではない。
長男、次男に対して、私も毎日・毎時間余裕があるわけではないし、
どのくらい応えられるかは限界がある。
しかし、出来る限り子供たちの心を豊かに育んでいきたい。
そのためには、一緒に体験をし、一緒に感じ、沢山話をしていく中で
「理解しよう」と、努力し続けなくてはならない。
人間を育てるというのは心を育てることでもあるから、本当に難しい。
親だって余裕がない時だってあるし、イライラしている時もある。
いい加減にしてよ!と言いたくなることもあるし
言ってしまうこともある。
それでも、大変でも、
せっかくこの世に生まれてきてくれたのだから
やはり親に出来ることはやってあげなければならない。
一人の人生を背負うということは、責任が伴うし、覚悟しなければならない。
生きていれば、苦しいことも、悲しいことも、誰かから裏切られることもあるかもしれない。
だが、人はその対価として喜びをより深く感じることが出来る。
【自分は自分として生まれてきてよかった!!】
そんな風に【自分】を育て、
色鮮やかな世界を見て感じ、感動したり
人の温かさに触れて「温かいなぁ」と気づける
心の眼や耳を養ってあげたい。
私自身とても未熟者で、一発でうまくいかないことばかりだし、
自身の怒りや悲しみに満たされることだってある。
それでも、私は私らしい関わりを子どもにも、お客様にもしていきたいと望んでいる。
上に書いた子どもへの願いについては
お客様に対しても同じだ。
例え血の繋がった家族から酷い扱いを受け、心が傷だらけの人たちも
生きていかなきゃいけないのなら楽しいほうがいい。
「あなたはこれまで苦しみ抜いた分、
大きなご褒美として喜びをより鮮やかに感じられるんだよ。」
ということを知ってほしいし、そんな世界を見てほしい。
私がお客様にとって血の繋がった家族ではなくとも
「心の親」として温かさと信念をもって育てることは出来ると信じている。
私は私自身を信じているし、私と縁あって出会ってくれたお客様に修復する力があると心から信じている。
というか、そうでなくては困る。
過去に戻ることも、親を変えることも出来ないのだから。
絶望の中で生きてきた人たちにとって希望の光になれるように
我が子達の心の支えとなれるように
私自身も自分を育て続けたい。
2025年07月21日 23:30