他人の評価ばかり気になるのはなぜ?/自分らしく生きるには…
人からどう思われているんだろう?嫌われているのかな
変な人だって思われていたらどうしよう
きっと私みたいな変な人間はそう思われているに違いない
誰も私を好きになるわけがない
私なんか・・・
どうせ・・・
このような自問自答をしたことはないでしょうか。
カウンセリングに来る方のほとんどは「他人から自分がどう思われているのか気になる」と言います。
私も、以前はそうでした。
人からどう思われているのか
果たして自分は良い反応が出来たのか
頭が悪いと思われていないか
馬鹿にされていないか
こんなことばかり頭の中で反すう(繰り返し考えること)していたので
人と話すことも会うこともとても疲れましたし
毎日通勤することも、継続して仕事をすることも
ありとあらゆることが苦痛でした。
なぜそんなに人からの評価が気になるのか…?
最初に挙げられる理由が
”感じ方の基準がないから”です。
感じ方=喜び方、悲しみ方、怒り方などです。
まず、私たちはこの世で生きていくにあたって
必ず、人と比較をします。
生き抜くために必要なことだからです。
人と比較をすることで、自分の立ち位置を確かめ、
生きていくために安全な立ち位置を目指そうとします。
それは、人と繋がろうとすることにも関係しています。
人と繋がる=愛着
だといえます。
愛着とは、人と「安全に」繋がること。
人と安全に繋がる経験があり
「人と繋がっても大丈夫なんだ」という感覚
それを知って初めて
人は、人と繋がろうと思えます。
人と繋がっても大丈夫と思えたとき
「私でも大丈夫なんだ」という「受け入れてもらえる温かさ」を知ります。
そして、「やってみようかな」という勇気が湧くのです。
試したことを一緒に喜んでくれる人がいて初めて「出来た」「喜んでもいいんだ」と確認することができます。
そしてまた「進んでみよう」と勇気が湧くのです。
人と比較したり他人からの評価ばかり気になってしまうのは
「安心してもよい基準」がわからないからです。
「私なら大丈夫」と思える確かな足場が無いから
延々と探り続けてしまうのです。
この世界で生きていくには
人からどう見られているのかという客観的視点もある程度必要ですが
自分らしく生きていけたらどんなに幸せでしょうか。
しかし「自分らしさ」も、人との比較をして浮かび上がってくるものでしょう。
比較や評価すること自体が悪いわけではなく、それを活用して生きていくしかないのです。
人からの評価が気になって仕方ない
自分なんか駄目だ
という思いが強い人には
あなた自身を映し出す
なるべく正確で、温かく、力強い、鏡となる人が必要です。
たとえ幼少期に親がその役割を果たしてくれなかったとしても
たとえ幼少期に親からの愛情をうまく受け取ることができなかったとしても
未来は変えることが出来ます。
愛着を求め続ける弱い生き物だからこそ
儚い人生にも強さを見つけて生きていけるはずです。
人と心が繋がること
人と生きること
自分らしく 相手も相手らしく
傷つけあって、傷を手当てしながら
喜びも苦悩も味わい尽くして
「私は、私として生まれてきてよかったのかもなぁ」と言って人生を終えられるように。
大丈夫、私も未だに迷い、傷つくことも傷つけることもありますから。
苦しくてどうしてもしんどい時はどうか
苦しいのは私だけではないんだ、一人ではないんだ、と思い出してください。
2024年11月08日 21:12